印象に残っている人⑩ 後日談

 

s-ta.hatenablog.com

 

余談①

本人は退院後に自宅で生活していましたが、その間何を食べていたのか尋ねてみたところ

本人「冷蔵庫に卵があったから、飲んだわ」

と話していました。本人は買い物に行けないので新しい卵ではないし、そうなると入院前からあるものとなりますが、入院は1か月くらいしていたから・・・と、ロッキーもびっくりの期限切れ卵で空腹を凌いだとのことでした(ちなみにガスは止まっていたので、調理はできなかったそうです)。入所後に特別身体の異変があったという話は聞かなかったので、大丈夫だったと予想します。

 

後日談①

本人が入所してしばらくたったある日、担当ケアマネジャーから連絡があり

ケアマネ「実は本人の年金がちょっと少なくて貯金もないので、生活保護の申請をしに行ったんですよ」

私「そうだったんですか」

ケアマネ「そうしたら担当のケースワーカーから、株があるのでそれを活用して再度申請してくださいと言われまして」

私「あーそういえば本人は株の取引きやっているって言ってました」

ケアマネ「どうすればいいのかわからないので、一緒にしてくれません?」

私「私もわからないけど、早速行きますね」

という流れでケアマネと施設訪問

本人「あら久しぶり」

私「元気そうですね」

本人「まあね」

私「株の取引きってどうやってました?」

本人「電話でやっていたわ」

私「どこの証券会社ですか?」

本人「○○よ」

ケアマネ「番号わかります?」

本人「わかるわよ」

私「今後ここでの生活を続けるのに、持っている株を売らないと生活保護の申請ができないんですよ。だから売りません?」

本人「ねえ、それは分かるんだけど、私が持っている株はまだ売り時じゃないのよ」

私「(そんなこと言っている場合じゃねーだろ)また一人で暮らさなきゃいけなくなりますよ」

本人「・・・仕方ないわね」

というやりとりの後、無事に電話してくれました。その際電話の相手からパスワードを聞かれたのですが、本人は8ケタくらいのパスワードを伝え無事に売却することができました。私とケアマネは顔を見合わせ、記憶力すごいねってアイコンタクトしました。

 

後日談②

私の事業所の管理者から「よく病院から自宅へ戻すことができたね。自分だったら怖くてできないわ」と言われました。たしかに本人の命にかかわる危険な選択だったし、どこまで根競べするかも未知の状態だったので不安は多い状態でした。しかし事業所内ではもちろんのこと、親族や関係機関とも話し合って了承を得てからの決断だったため、ある意味本人の希望を実現できた結果、自己決定を支援できたと考えます。

 

後日談③

本人が入所し3か月ほどたったころ、担当のケアマネと会う機会がありました。本人の様子を聞くと「元気に過ごしています。入所されてから、一度も家に帰りたいとは言っていませんよ」と教えてもらい、心の中でガッツポーズしました。

 

要介護3の認定で退院したての人を介護サービスなしで一人暮らしを再開させるというのは、どう考えても命の危険があるので多数の専門職はしない判断だと思います。しかし今回のケースでは「一人で生活できないことを分かってもう」ことが目的だったため、このような方法を選択しました。それと本人が一度決めたからってずっとその生活を続けるのではなく、考えが変わった時に誰かに助けてと言える関係性になっておく、ということが重要だと理解できました。また、今回のケースは親族の意向が一致していたということが実行できた大きな要因だと考えます。自己決定については色々意見は分かれますが、だからこそ話し合いが必要だと感じるケースでした。