印象に残っている人⑩ー⑦

 

s-ta.hatenablog.com

 

退院当日・・・(4月で気候の良い時期、13時ごろ)

本人「ようやく帰れるわ」

私「よかったですね」

本人はタクシーで移動し自宅へ到着しました。しかし誰かが支えなければ一人では歩けない状態でしたが

本人「やっぱり家がいいわ」

私「一人で大丈夫です?」

本人「大丈夫よ。買い物も頼めばいいし。いざとなったら以前良くしていた近所の人が助けてくれるわ」

私「(近所の人から世話になったなんて聞いたことないし、あなたは逆に助けたことないでしょ)そうですね」

というやりとりを行い、本人が一人での生活がスタートしました。さすがに心配なのでその日の17時に訪問したところ

本人「料理がしたいから、食材を買ってきてちょうだい」

私「行きませんよ。一人でできるって言ったじゃないですか(料理できる状態じゃないと思うが)」

本人「誰かが困っていたら助け合うのは、当たり前のことでしょ」

私「(正論で心が痛むけど)入院中は家のことは一人でできる、支援はいらないって言いましたよね?」

本人「状況がかわったのよ」

私「かわってもしませんよ」

本人「ぷんぷん」

と、私が折れなかったので本人はしぶしぶ部屋に戻りました。事業所に戻り職員みんなで共有し

主任ケアマネ「夜が心配よね」

管理者「転倒してなきゃいいけど」

私「本人の意思は固かったからなー」

保健師「一応水と電気は通っているわよね」

主任ケアマネ「それでも心配だね」

と、我々も不安いっぱいの退院初日を終えました。

 

翌日、出勤し早速訪問したところ・・・(9時ごろ)

私「おはようございます」

本人「はーい(か細い)」

私「(生きているみたいだ)あがりますよー」

本人「お腹が減っているから、何か買ってきてよ」

私「昨日も言った通り、買いません」

本人「ふん」

再度17時に訪問

私「こんにちは」

本人「はーい」

私「体調はどうですか」

本人「お腹が減ってるわ」

私「誰かに頼らないと無理でしょ」

本人「となりの人に食べ物ちょうだいって頼んでみたけど、断られたわ」

私「そりゃそうですよ」

本人「ひどい人たちね」

私「(なんだかんだ元気だな)また明日来ますね」

と、2日が過ぎました・・・

 

3日目・・・

私「おはようございます」

本ん「私さんごめんなさい。一人での生活は無理だとわかりました。施設に入りますので、手続きを進めてください」

私「そうですか、じゃあすすめますよ」

と、3日目でようやく一人での生活は無理だと判断されました。しかし今までの帰りたいという気持ちが再燃しないか心配だったため、私が作った施設(有料や特養)に入りますという念書にサインをもらいました。本人も観念したのかつらかったのか、はたまたお腹が減っているからなのか素直に記入しました。それからは次の担当になるケアマネジャーを紹介し、目星をつけておいた施設へ2日後に入れるようになりました。それまでは我々と担当ケアマネジャーとで分担しながら、本人からお金を預かりご飯を買って渡しました。たまに「天津飯は嫌いなのよね」とか言われたりもしましたが、おおむね素直に食べたり手続きしたりと、転居に向けてすすみました。その後親族や病院、近隣住民(次の施設名までは言えない)等への報告を行い、ケアマネジャーは施設入所と介護サービスの契約が一度ですむように調整を行ってくれ無事に入所することができました。施設入所の際は弟が来てくれ「最後の契約になるといいですね」と話してくれましたが、これは私も期待するしかありませんでした。

そんなこんなで無事に本人の支援は終了しました。

・・・つづく