昨日と今日のよかったこと

昨夜は子どもがなかなか眠らず、布団から出たり我々に乗ってきたり、廊下に出たりと元気百倍状態でした。少し落ち着いたかと思って3人で川の時に寝ていたのですが、子どもが急に手をシャドウボクシングのようにわちゃわちゃと動かしだしました。私が「ジャッキーチェンみたいね」というと妻が笑ったので、なかなか眠らない子どもに対してのイライラが少し治まったような気がしました。

 

先週私が勤めている会社で、別の部署が主催している会議に参加してきました。後日その会議録を部署内で回覧することになっているのですが、私の殴り書きのメモの部分を丁寧に読んでくれた同僚が「この書き込み面白いわね」と言ってくれました。もしかすると早速アウトプット大全を読んだ効果が出ているのかもしれないと考えてみましたが、たまたま会議の課題が面白い方向に進んで、要約をぽつぽつと書いたのがヒットしただけのようでした。けれども面白いと言ってくれたので素直に喜びました。

 

印象に残っている人⑩ー⑦

 

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退院当日・・・(4月で気候の良い時期、13時ごろ)

本人「ようやく帰れるわ」

私「よかったですね」

本人はタクシーで移動し自宅へ到着しました。しかし誰かが支えなければ一人では歩けない状態でしたが

本人「やっぱり家がいいわ」

私「一人で大丈夫です?」

本人「大丈夫よ。買い物も頼めばいいし。いざとなったら以前良くしていた近所の人が助けてくれるわ」

私「(近所の人から世話になったなんて聞いたことないし、あなたは逆に助けたことないでしょ)そうですね」

というやりとりを行い、本人が一人での生活がスタートしました。さすがに心配なのでその日の17時に訪問したところ

本人「料理がしたいから、食材を買ってきてちょうだい」

私「行きませんよ。一人でできるって言ったじゃないですか(料理できる状態じゃないと思うが)」

本人「誰かが困っていたら助け合うのは、当たり前のことでしょ」

私「(正論で心が痛むけど)入院中は家のことは一人でできる、支援はいらないって言いましたよね?」

本人「状況がかわったのよ」

私「かわってもしませんよ」

本人「ぷんぷん」

と、私が折れなかったので本人はしぶしぶ部屋に戻りました。事業所に戻り職員みんなで共有し

主任ケアマネ「夜が心配よね」

管理者「転倒してなきゃいいけど」

私「本人の意思は固かったからなー」

保健師「一応水と電気は通っているわよね」

主任ケアマネ「それでも心配だね」

と、我々も不安いっぱいの退院初日を終えました。

 

翌日、出勤し早速訪問したところ・・・(9時ごろ)

私「おはようございます」

本人「はーい(か細い)」

私「(生きているみたいだ)あがりますよー」

本人「お腹が減っているから、何か買ってきてよ」

私「昨日も言った通り、買いません」

本人「ふん」

再度17時に訪問

私「こんにちは」

本人「はーい」

私「体調はどうですか」

本人「お腹が減ってるわ」

私「誰かに頼らないと無理でしょ」

本人「となりの人に食べ物ちょうだいって頼んでみたけど、断られたわ」

私「そりゃそうですよ」

本人「ひどい人たちね」

私「(なんだかんだ元気だな)また明日来ますね」

と、2日が過ぎました・・・

 

3日目・・・

私「おはようございます」

本ん「私さんごめんなさい。一人での生活は無理だとわかりました。施設に入りますので、手続きを進めてください」

私「そうですか、じゃあすすめますよ」

と、3日目でようやく一人での生活は無理だと判断されました。しかし今までの帰りたいという気持ちが再燃しないか心配だったため、私が作った施設(有料や特養)に入りますという念書にサインをもらいました。本人も観念したのかつらかったのか、はたまたお腹が減っているからなのか素直に記入しました。それからは次の担当になるケアマネジャーを紹介し、目星をつけておいた施設へ2日後に入れるようになりました。それまでは我々と担当ケアマネジャーとで分担しながら、本人からお金を預かりご飯を買って渡しました。たまに「天津飯は嫌いなのよね」とか言われたりもしましたが、おおむね素直に食べたり手続きしたりと、転居に向けてすすみました。その後親族や病院、近隣住民(次の施設名までは言えない)等への報告を行い、ケアマネジャーは施設入所と介護サービスの契約が一度ですむように調整を行ってくれ無事に入所することができました。施設入所の際は弟が来てくれ「最後の契約になるといいですね」と話してくれましたが、これは私も期待するしかありませんでした。

そんなこんなで無事に本人の支援は終了しました。

・・・つづく

アウトプット大全を読んでいます

仕事柄行動を記録したり人に説明したりすることが多いのですが、それらに苦手意識があったのでこの本を読み始めました。さらに私は何か行動していないともったいないと思ってしまう性格であるため、これまでインプットばかりしていました。さらにインプットとは何かということも具体的に分かっておらず、見たり聞いたりすればよいという考えでいました。しかしこの本を読むことで、インプットだけでは「自分の成長につながっていない」ということが分かりました。本に書いてあることを実行するためにも、ブログに自分なりの気づきを残したいと思います。

そもそもインプットとアウトプットとは何か、ですが

インプット・・・「入力」脳に情報を取り入れること。

具体的には「読む」「聴く」「見る」

アウトプット・・・「出力」脳に取り入れた情報を処理し、外に出すこと。

具体的には「書く」「話す」「行動する」

になります。これだけみてもやはり今までの自分はインプットばかりしていたと思いました。例えば映画を見たり音楽を聴いたりしても自分の感想や好みはイメージしますが、それを誰かに伝えるということはほとんどなく、妻に少し話す程度でした。インプットしたことは自分の言葉で文章をまとめて書くと記憶に残りやすいため、インプット→アウトプットを実行しようと思います。

 

印象に残っている人⑩ー⑥

 

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病院で弟・本人に会い、入院の手続きは進められました。本人はひっきりなしに「家に帰りたい」と話しており、弟と看護師は渋い顔をしていました。それから3日後、病院から連絡があり

看護師「本人がベッドから転落して、腕を骨折しました」

という内容でした。本人へ会いに行くと

本人「ここは地獄だわ」

私「どうしてですか?」

本人「自由がないのよ。ずっとベッドで過ごさないといけないし」

私「骨折しているので仕方ないですよ」

本人「家に帰りたいわ」

私「やっぱり家がいいんですね。けれども一人で生活はできないですよね?」

本人「近所の人がいろいろしてくれるからいいわ」

私「もうしてくれませんよ」

本人「ご飯なら買い物は配達してくれるし」

私「そもそもコンビニで支払いできてないから、携帯はとまってるでしょ」

本人「それならヘルパーに頼むわ」

私「物盗られるって言うし、わがまま言うじゃないですか」

本人「じゃあ介護サービスいらないわ。使わなくても生活はできるから大丈夫よ」

私「ちなみに退院してから施設に入るとかは?」

本人「絶対嫌よ」

私「・・・そうですか。けれどまずは骨折の治療が優先ですよ」

本人「帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい」

私「・・・(無視して帰ろ)」

と同じ話なので帰りました。看護師に確認したところ1か月くらいは入院が続きそうなので、その間にどうするかをみんなで考えることにしました。今回の入院は病院の看護師が屈強な精神力を持った方々だったためか、本人も意見は言いつつも入院し続けられました。しばらく経ち・・・

看護師「本人とは相変わらず帰れないよってやりあっていますけど、骨折はだんだんよくなっています。状態も落ち着いてきているので、介護保険の認定の変更をしてもいいかもしれません」

私「わかりました」

看護師「骨折の治りはいいですが、日中はあまり動かないので脚の筋力は落ちています」

私「今は要支援2なので、今後は介護の認定になりそうですね」

看護師「なりそうです。介護なら担当も変わりますね」

私「今後のことは親族も含めて話し合ってみますね」

看護師「よろしくお願いします」

ということで、要介護3の認定がおりました。その後私の事業所でも話し合った結果、退院後は

①施設に入る

②自宅に帰る

で意見はわかれましたが、管理者を含め多数は①でした。私は②だったのですがそれだと今までの繰り返し(契約→サービス使う→中止→別の契約)になるので、条件付きの案を出しました。①の案だけでは命の保証は考えられますが、退院してすぐ施設入所になると「あんたが無理やり施設に入れた」と言われかねないことと、入所したとしてもトラブルが続きそうであるため②の案として一度自宅で生活してもらい(介護サービス等の支援なし)、一人での生活は無理だから施設に入りますという意向を、本人から聞き取ってから施設入所する、という提案をしてみました。しかし「家で亡くなられたらどうするの」とか「孤独死になったら、その周りの住民がさらに周りの住民から何をしていたんだって言われちゃうのよ」という助言をもらえたため、②の案を実行するにも周りが一枚岩になる必要があることから、関係者と意見を出し合うことにしました。話し合ったり根回しした結果

①弟「以前お伝えしたように、仮に姉が家で亡くなっても親族は誰も文句言いません。むしろせいせいするはずです。姉が施設に入りたいと言うのであれば契約はしますが、あの性格なら自宅での生活が一人では無理ってことがわからない限り入らないでしょうね。ですから私はあなたがたの方法を支持します」

②いとこ「弟と同じ意見です」

③近所の人・民生委員「今回は手を出さずに見守るしかないわね」

④担当ケアマネ「わかりました。今から本人が入れそうな施設を探しておきます」

⑤入院先の病院「え、退院した後は家に帰すんですか?」

病院内でざわざわ・・・

「本人の性格を考えると、そのほうがよさそうですね」

⑥市の担当窓口「こんな状態(要介護3)で帰すんですか?って思いますけど、本人も含めてみなさん意向が一致しているので、やってみるしかないですね」

⑦私の所属事業所「みんなの意見がまとまったので、やってみますか」

ということになり、本人を支援なしで自宅へ帰すことにしました。

つづく

印象に残っている人⑩ー⑤

 

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本人が自宅へ帰った場合の支援として、今後は小規模多機能型居宅介護を利用することになりました。小規模多機能型居宅介護へ今までの経緯を説明したところ「本人のために、精いっぱいがんばります」と、とても前向きに受け入れてくれました。その後再度弟に集まってもらい説明と契約を行い、配食サービスとホームヘルパーとデイサービスを組み合わせて利用することとなりました。

自宅へ戻って1日目・・・小規模多機能型居宅介護より「ご飯も食べられているし、順調です」と連絡があり、我々職員もホッとしました・・・がそれも束の間、3日目の朝に小規模多機能型居宅介護から連絡があり

職員「本人が自宅で転倒されていて頭から出血されています。それと本人の希望が強くて病院にも行かないって言うし、職員が物を盗ると言われるし、もうわがままがすごいのでこれ以上の支援は無理です」

私「そうなんですね。本人は大丈夫ですか?」

職員「自宅で転倒されていて出血されていますが、会話はできます」

私「救急車は必要ですか?」

職員「そうですね、出血しているので呼んだ方がよさそうです」

ということで病院で治療することになりました。受診の結果、頭のケガの治療と栄養状態がよろしくないのでしばらく入院することになりまして・・・ここでまたまた再度ふたたび二度あることは三度ある状態のループがおき、保証人問題が発生してしまいました。(優しい)弟へ電話してみると

弟「またですか・・・」

私「そうなんです」

弟「さすがにもう限界ですよ」

私「そうですよね」

弟「私さん達も、こんな姉を支援しないといけないとは大変ですね」

私「(姉は傍若無人なのに、弟は丁寧な物腰でできた人物だなー)本人にも良い所はありますし、ひいては弟さんのためにもなると思っているので、どうにかしたいとは思います。しかし弟さんに迷惑ばかりかける形になってしまってすみません」

弟「こんなに続くとつらいですね」

私「今回入院できたので、退院までしばらく時間は作れると思います。その間に本人の今後の生活をどうするか、我々や病院の職員も含めていろいろ話し合ってみますので、また連絡してもいいです?」

弟「姉のことは本当にどうなってもいいと思っています。しかしある程度のことはしますので、いい案があれば教えてください」

私「どうもありがとうございます」

という流れで入院の保証人になってくれることになり、一度病院で合流することにしました。しかしここからがこのケースの正念場でした。

つづく